歌の責任
「歌は人をも殺しかねない」
とあるLive Houseのマスターと話をさせていただいたことを少しばかり・・・
所謂
「言葉の暴力によって精神的ダメージを与えてしまう」ことで
とりわけ、
本人が正しいと思っていることを言うときには
「嘘を言うときよりもずっと慎重にならなければならない」
自分が主張する時には何か(誰か)を否定することから
始まるわけだから、
その時点で自分が救済者のつもりが、
加害者になっていることに気をつけなければならない。
時に表現者が意図しないところの人を傷つけることもあることに
気がつかないといけない。
更に
歌や記録物(blog等で公開式)にしようものならば、
時にはそれが作品として残るわけで
その歌は永遠に
「無意識に人を傷つけ、時には殺めてしまう」
身体的暴力は目に見える分回復の度合いが分かるものの、
性質(たち)が悪いことに
心へのダメージは目に見えない分
人によっては回復不可能の場合もある。
でも傷ついた人は一見普通ゆえ、
回復ぶりは誰にもわからない。
繰り返してみる。
「歌は人をも殺しかねない」
「表現の自由」は保障されているものの
その自由についてはきちんと責任を取らなければならない。
私自身もそのことは重々承知の上で、
言葉は選んでいるつもりではあるが、
無意識のうちに人を傷つけているのもまた事実。
作品を作っている以上「歌の責任」からは逃れられない。
そういった意味で無秩序な歌も時に聴く事があり、
聴いていて、心が痛い時があります。
音楽は「音を楽しむ」世界ゆえ、
最後まで聴いた後には楽しい心地になるのがベストなんでしょうけどね。
とあるLive Houseのマスターと話をさせていただいたことを少しばかり・・・
所謂
「言葉の暴力によって精神的ダメージを与えてしまう」ことで
とりわけ、
本人が正しいと思っていることを言うときには
「嘘を言うときよりもずっと慎重にならなければならない」
自分が主張する時には何か(誰か)を否定することから
始まるわけだから、
その時点で自分が救済者のつもりが、
加害者になっていることに気をつけなければならない。
時に表現者が意図しないところの人を傷つけることもあることに
気がつかないといけない。
更に
歌や記録物(blog等で公開式)にしようものならば、
時にはそれが作品として残るわけで
その歌は永遠に
「無意識に人を傷つけ、時には殺めてしまう」
身体的暴力は目に見える分回復の度合いが分かるものの、
性質(たち)が悪いことに
心へのダメージは目に見えない分
人によっては回復不可能の場合もある。
でも傷ついた人は一見普通ゆえ、
回復ぶりは誰にもわからない。
繰り返してみる。
「歌は人をも殺しかねない」
「表現の自由」は保障されているものの
その自由についてはきちんと責任を取らなければならない。
私自身もそのことは重々承知の上で、
言葉は選んでいるつもりではあるが、
無意識のうちに人を傷つけているのもまた事実。
作品を作っている以上「歌の責任」からは逃れられない。
そういった意味で無秩序な歌も時に聴く事があり、
聴いていて、心が痛い時があります。
音楽は「音を楽しむ」世界ゆえ、
最後まで聴いた後には楽しい心地になるのがベストなんでしょうけどね。
